光照寺

東澗山 光照寺(とうかんざん・こうしょうじ)

  • 宗派 浄土真宗大谷派
  • 名称 東澗山 光照寺
  • 本尊 阿弥陀如来
  • 開基 祐信(1598年=慶長3年)
  • 住所 新潟県糸魚川市蓮台寺2-10-3

当寺の過去帳には、祐信は天正年間に越中国生地で父・正宗の二男として生をうけ、一五九八年に現在の糸魚川市において水帳を名受し、同年御影と寺号を申受したと記載されている。

祐信の出身寺は梅澤山 専念寺である。梅澤山の祖先は鎌倉幕府の御家人であった畠山次郎重忠である。次郎重忠の子・小次郎重秀は明恵の弟子となり惠空と称した。後に惠空は親鸞の弟子となり証性房と号した。証性房は関東二十四輩第八番連生寺(福島県東白川郡柵倉町)を開基した。証性房の子・畠山信了は寺侍と共に現富山県の入善町に専念寺を開基したのだが、黒部川の氾濫を機に生地浦に寺院を移した。

一五九二年、本願寺十一世顕如の死去に伴い、一旦は長男教如が十二世法主の座に就いたものの、その母・如春尼は三男准如に法主を譲る旨の顕如の譲状を豊臣秀吉に提出。秀吉はこの訴えを認め、三男准如が本願寺の十三世法主となった。この際、豊臣秀吉の意に反して長男・教如を擁立した専念寺十一世・畠山正宗は、前田利家の命により斬首に処せられた。一五九七年のことであった。寺院は焼き払われ、残された寺族は越後国糸魚川に逃れた。

一六〇二年(慶長七年)に本願寺が東西に分裂し、徳川家康の庇護をうけた東本願寺の法主に教如が就くと、正宗の長男・祐正は生地浦に戻り専念寺を再興した。

境内に糸魚川市天然記念物の銀木犀と椎の木があります。